日本最長! 片道切符の旅

弊社スタッフ・林の【思い出の鉄道旅】シリーズ
今回は大学生になった林青年の、鉄分濃いめの旅をご紹介します


国鉄線と国鉄航路連絡船を使って、最長距離の一筆書き切符で旅をした

 「日本最長片道切符」の旅

私にとって一番思い出に残る旅だった。

どこからどこまで? 
決まった出発地、到着地、そしてルートもあるわけではない。
自分で時刻表を繰って見つけるしかない。

とにかく路線と駅で重ならないように日本列島を南へ北へ、
東へ西へと、また、その逆へとひたすら一筆書きで最長距離を旅するのである。

昭和53年に旅行作家の宮脇俊三さんがこの旅を実行し、旅行記を出版、ベストセラーになった。

 

私はこの本が出版される2年前、ある読み物で「最長片道切符」で旅した大学生の記事を目にした。
この方は相当苦労してルートを作り上げたという。ルートが出来上がっても新線が開通したり、逆に廃線になったりすればルートはガラリと変わってしまうことがある。

私が大学へ入った年に東京では武蔵野線が開通し、さらに長いルートができる可能性ができた。
「新ルートを見つけて日本一のタイトルを奪還しよう!」と、ルート作りが始まった。


実際の乗車ルート、当時の学研「旅行ホリデー」誌に掲載された地図

面倒な国鉄の運賃規則を適用しなくてはならず、ただのパズルではなかった。

ルートができあがると、今度は実際のスケジュール作り。1日の運転本数が1~2本という区間もあり、また料金のかかる特急、急行は極力乗らず、鈍行に乗る、当時多く走っていた夜行列車は宿代を浮かす意味で積極的に利用する。
2年近くを要した計画は大変でもあったが、日本最長を見つけるのに楽しくもあった。


次の難問は、こんな面倒な切符を作ってもらえるのか? 

当然、既成の切符ではないので、この時代はコンピューター発券などはまだできず、切符を作る方としては複雑な規則を見ながら、面倒な運賃計算をしなくてはならない。駅としては受けたくはない注文だろう。
ノートに出発駅、終着駅、そしてびっしりと経由路線を書いて持ってゆくと、案の定「こんな切符は作れない」と、どの駅にもことごとく断られてしまい途方に暮れてしまった。切符なしには旅は始まらない。

先人が切符を発行してもらったという東京駅の旅行センターを訪ねたところ、その担当者が時間があれば発行できるという。

そして1か月後、合格通知を待つように手にした切符は


発行されたばかりの日本最長片道切符
 

北海道・襟裳岬の北、広尾駅を出発し、九州・薩摩半島の西端、枕崎駅を目指す、
総キロ数13,188キロ(カナダ大陸横断鉄道の4,466キロの3倍近くの距離)、
通過駅数3,126、通過路線数167、有効日数67日、運賃27,600円の

文字通りの日本最長片道切符。

規則で記入が必要な経由地は小さな切符には収まり切れず、便せん2枚にびっしりと書かれているが、これも立派な切符だ。

経由地が本切符に書き入れられないため便せんに。これも正式な切符

全行程は33日だが、自宅から出発地まで、到着地から自宅までの日程を含めると40日近く。
途中事故やダイヤの乱れ、トラブルがあれば計画は大きく狂ってしまう。
時間に正確な国鉄でも果たして大丈夫だろうか。しかし社会人になったらこんな旅はもうできない。

「前人未到の日本最長片道の旅にでるぞ!」

と意を決し、3枚にわたる日本最長片道切符を手に出発したのは、
まだまだ国鉄が輝いていた半世紀近く前の冬だった。


完乗後の日本最長片道切符(途中下車印で埋め尽くされている)