弊社スタッフ・林の【思い出の鉄道旅】シリーズ
林少年の、鉄分濃いめの旅をご紹介します
「東海道新幹線 試乗券」
折り目がついてクシャクシャになった1枚の切符は、私の生涯でもっとも偉大な旅にいざなってくれた切符だ。
![](https://www.canadiannetwork.co.jp/tours/wp-content/uploads/2021/09/新幹線試乗券.jpg)
今から57年前、戦後初、そして最大のイベントであった1964年 東京オリンピック開催を1か月あまり先に控えた 9月1日のこと。
小学校5年生の私にとって、この日は始業式だった。
教室で着席していると、担任の先生から「家から電話」と伝えられた。
この時代、固定電話のある家庭は限られていて、わが家にはまだなく、母は公衆電話からかけてきたのだろう。
わざわざ学校に電話をかけてくるとは、何か良くないことが起こったのだろうか。
「夢の超特急に乗れることになったのよ。
すぐに帰っていらっしゃい!」
恐る恐る握った受話器からの母の声は、はずんでいた。
早退は許可され、帰宅を急いだ。
私にとっては「夢」が3つ付いて良いくらいの「夢の超特急」の試乗券が手に入ったのだ!
東京駅 11時30分発。
30分間隔運転の私鉄のローカル駅近くに住んでいた。 乗り換えて東京駅に一直線の中央線にも、まだ「特別快速」などという速い電車もない時代である。 発車まで、あと1時間半弱。 間に合うだろうか。
しかし案ずるまでもなく、発車10分ほど前に到着した東京駅。
「夢の超特急」ホームは、開業前にもかかわらず、試乗客でごった返していた。
ところが、
母がもらった試乗券は1枚のみだという。
さあどうしよう。
母は係員に、
「この子の付き添いで乗らなくてはならないのですが。。。」
と切符を出したところ、係員は好意的にも「お母さんもご一緒にどうぞ」と言ってくれた。
母は、私を1人で乗せる心配がなくなっただけでなく、自分も乗れるという喜びに変わったに違いない。
2人で喜び勇んで到着したホームはあふれんばかりの人だ。
この新幹線ホームを見上げるように位置する在来線ホームも、まもなく開通する「夢の超特急」を一目見ようとする人たちであふれている。
何しろ日本一、いや世界一の高速鉄道の幕開けを見ようというのだ。 これほどまでに鉄道というものが注目されたことも珍しいだろう。 人々の興味津々、羨望のまなざしが集まる。
お祭り騒ぎのようなホームの大混雑もさることながら、車内へ入ると座席はすでに埋まっていた。
新幹線車両はおろか、特急車両に乗るのも初めての私は、まるで初めて飛行機、いや宇宙ロケットにでも乗ったような気分だった。
「0系」と呼ばれる初代新幹線車両は、外観も内装もシンプルで、海側3人、山側2人掛けのシートは窮屈そうだが、私にとっては豪華そのもの。 特にリクライニングシートの1等車(当時は1、2等制。1等は現在のグリーン車)は、まるで応接間のように映った。
やっとのことで、まだ営業していないビュッフェ車にたどり着き、椅子を見つけると、列車はすでに「音もなく」発車しており、有楽町、新橋と国電のホームを見下ろしながら、徐々にスピードを上げている。
これらのホームにも「夢の超特急」を一目見ようとする人たちが鈴なりだ。
こちらも高揚感と優越感でいっぱいになる。
開業時点ではまだ駅のなかった品川あたりでは、スピードはそれほど上がっていないが、それでも国電をどんどん追い抜いてゆく。
車内見物をしようと、通路を行き交う人たちの列は途切れない。
ビュッフェ車両には当時スピードメーターが取り付けられており、乗客たちはスピードアップにつれて、食い入るように見入っている。
「ただいま○○キロで走行中」
などという車内放送の実況が、乗客の高揚感を高めているようだ。
列車は間もなく新横浜に到着。 当時は何もないところに作られた、まったくの新駅だったので、新幹線の駅とはこんなものかと思った。
新横浜を発車すると、列車はどんどん、しかもなめらかに加速。ついに時速200キロに達したことを車内放送が告げる。
鉄道特有の「ガタンゴトン」という音が全くない。 この新幹線はレールの継ぎ目のないロングレールを採用したからである。
東海道新幹線は、以後に作られた山陽や上越、東北新幹線に比べるとトンネルは少ないのだが、それでも在来線に比べれば切通しも多く、それがより一層スピードを感じさせる。
時折、車窓に広がるのは、田畑や山林ばかり。 オリンピックをまじかに控えているとはいえ、当時はそれが当たり前の日本の景色だった。
新幹線路線のなかで、もっとも急カーブが多いのが東海道新幹線だが、在来線に比べればカーブの具合はなめらかで、高速で走るさまは、まさに「夢の超特急」そのものだった。
10月1日に開業する新幹線の紹介や、沿線案内を絶えず続けていた車内放送が、この試乗列車の終着駅、小田原到着がまもなくであることを告げる。
乗車してわずか40分ほど、84キロの旅だったが、私にとって、これほど思い出に残る「偉大な」旅はなかった。
![](https://www.canadiannetwork.co.jp/tours/wp-content/uploads/2021/09/1964年10月1日.jpg)
1964年10月1日 ひかり号 1番列車出発式(当時の新聞写真より)