夢の超特急

弊社スタッフ・林の【思い出の鉄道旅】シリーズ
林少年の、鉄分濃いめの旅をご紹介します


「東海道新幹線 試乗券」

折り目がついてクシャクシャになった1枚の切符は、私の生涯でもっとも偉大な旅にいざなってくれた切符だ。

 

今から57年前、戦後初、そして最大のイベントであった1964年 東京オリンピック開催を1か月あまり先に控えた 9月1日のこと。

小学校5年生の私にとって、この日は始業式だった。
教室で着席していると、担任の先生から「家から電話」と伝えられた。
この時代、固定電話のある家庭は限られていて、わが家にはまだなく、母は公衆電話からかけてきたのだろう。

わざわざ学校に電話をかけてくるとは、何か良くないことが起こったのだろうか。

「夢の超特急に乗れることになったのよ。
 すぐに帰っていらっしゃい!」

恐る恐る握った受話器からの母の声は、はずんでいた。

早退は許可され、帰宅を急いだ。
私にとっては「夢」が3つ付いて良いくらいの「夢の超特急」の試乗券が手に入ったのだ!

東京駅 11時30分発。

30分間隔運転の私鉄のローカル駅近くに住んでいた。 乗り換えて東京駅に一直線の中央線にも、まだ「特別快速」などという速い電車もない時代である。 発車まで、あと1時間半弱。 間に合うだろうか。

しかし案ずるまでもなく、発車10分ほど前に到着した東京駅。
「夢の超特急」ホームは、開業前にもかかわらず、試乗客でごった返していた。

ところが、

母がもらった試乗券は1枚のみだという。

さあどうしよう。

……

母は係員に、

「この子の付き添いで乗らなくてはならないのですが。。。」

と切符を出したところ、係員は好意的にも「お母さんもご一緒にどうぞ」と言ってくれた。

母は、私を1人で乗せる心配がなくなっただけでなく、自分も乗れるという喜びに変わったに違いない。

2人で喜び勇んで到着したホームはあふれんばかりの人だ。
この新幹線ホームを見上げるように位置する在来線ホームも、まもなく開通する「夢の超特急」を一目見ようとする人たちであふれている。

何しろ日本一、いや世界一の高速鉄道の幕開けを見ようというのだ。 これほどまでに鉄道というものが注目されたことも珍しいだろう。 人々の興味津々、羨望のまなざしが集まる。

お祭り騒ぎのようなホームの大混雑もさることながら、車内へ入ると座席はすでに埋まっていた。
新幹線車両はおろか、特急車両に乗るのも初めての私は、まるで初めて飛行機、いや宇宙ロケットにでも乗ったような気分だった。

「0系」と呼ばれる初代新幹線車両は、外観も内装もシンプルで、海側3人、山側2人掛けのシートは窮屈そうだが、私にとっては豪華そのもの。 特にリクライニングシートの1等車(当時は1、2等制。1等は現在のグリーン車)は、まるで応接間のように映った。


朝日新聞デジタルより

やっとのことで、まだ営業していないビュッフェ車にたどり着き、椅子を見つけると、列車はすでに「音もなく」発車しており、有楽町、新橋と国電のホームを見下ろしながら、徐々にスピードを上げている。

これらのホームにも「夢の超特急」を一目見ようとする人たちが鈴なりだ。
こちらも高揚感と優越感でいっぱいになる。 

開業時点ではまだ駅のなかった品川あたりでは、スピードはそれほど上がっていないが、それでも国電をどんどん追い抜いてゆく。

車内見物をしようと、通路を行き交う人たちの列は途切れない。

ビュッフェ車両には当時スピードメーターが取り付けられており、乗客たちはスピードアップにつれて、食い入るように見入っている。

「ただいま○○キロで走行中」

などという車内放送の実況が、乗客の高揚感を高めているようだ。

列車は間もなく新横浜に到着。 当時は何もないところに作られた、まったくの新駅だったので、新幹線の駅とはこんなものかと思った。 

新横浜を発車すると、列車はどんどん、しかもなめらかに加速。ついに時速200キロに達したことを車内放送が告げる。

鉄道特有の「ガタンゴトン」という音が全くない。 この新幹線はレールの継ぎ目のないロングレールを採用したからである。

東海道新幹線は、以後に作られた山陽や上越、東北新幹線に比べるとトンネルは少ないのだが、それでも在来線に比べれば切通しも多く、それがより一層スピードを感じさせる。
時折、車窓に広がるのは、田畑や山林ばかり。 オリンピックをまじかに控えているとはいえ、当時はそれが当たり前の日本の景色だった。

新幹線路線のなかで、もっとも急カーブが多いのが東海道新幹線だが、在来線に比べればカーブの具合はなめらかで、高速で走るさまは、まさに「夢の超特急」そのものだった。

10月1日に開業する新幹線の紹介や、沿線案内を絶えず続けていた車内放送が、この試乗列車の終着駅、小田原到着がまもなくであることを告げる。

乗車してわずか40分ほど、84キロの旅だったが、私にとって、これほど思い出に残る「偉大な」旅はなかった。


1964年10月1日 ひかり号 1番列車出発式(当時の新聞写真より)